毛利輝元の墓参り


毛利輝元は、関ヶ原の合戦で徳川に敗れ、本拠地の広島を追われ萩を開府しました。つまり、現在に続く萩の町の礎を築いた人物です。
ここ天樹院墓所は、もともとは輝元の隠居所「四本松邸」があった所で、輝元の死後に菩提寺として「天樹院」が建てられました。天樹院は輝元の法号です。明治2年(1869)に廃寺となり、墓所のみが残っています。
輝元の墓は高さ2.1m、夫人の墓は1.8mの大きなものです。また傍らには、家臣であった長井元房の墓もあります。元房は、輝元の後を追って殉死したためこの場所に葬られました。
周囲には玄武岩製の玉垣、鳥居、石灯籠、長さ64mの参道の敷石、唐門などが良好な状態で残されています。