萩往還を歩く②

国境の碑にて

  萩往還(おうかん)は、江戸時代に萩城下から中国山地を越え、山口を通過して三田尻港(現防府市)まで続く街道として整備されました。このたび、全長約53㎞の道を3回に分けて歩く企画の第2弾を実施しました。今回の行程は、前回も出発地点にした佐々並市(萩市)です。昨年11月は萩城下を目指して歩きましたが、今回は反対の山口市に向かう、約15㎞の行程です。 当日の朝、美祢市の友人宅に行き、夫人に出発地点まで車で送ってもらい、帰りも山口駅まで迎えに来てもらいました。交通の便を考えると仕方ないのですが、大変お世話になりました。

◆佐々並市(ささなみいち)~国境手前

 萩往還を往来する人々の宿場として栄えた佐々並市から歩き始めます。国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けた山間の集落に、江戸期から大正期に建てられた家屋等が並んでいます。ほどなく殿様の休憩場所だった御茶屋跡を通過し、佐々並市とは別れを告げることになります。坂を上り始めると見えてくるのが棚田。幅の狭い傾斜地に石を積み上げて築かれています。ここまで伝建地区に含まれています。現在は耕作されていないようですが、多少水が流れていて、蛙の声が聞こえていました。

萩往還は棚田の左側を通っています。現在は、右側(カメラ側)に車道(国道)があります。

 今回のルートは、国道や県道と重なる部分が多く、アスファルトの上を歩くことが多かったです。自然や歴史を感じたいと思いながら歩く者にとっては、自動車は五感に不快感を与えるもの。とはいえ季節は春、今年は草木の開花が早く目を引きます。サクラにツツジにクロモジ、スミレや水仙・芝桜など、友人もあちこちで足を止めて写真を撮っていました。歩き始めて1時間ほどで、日南瀬(ひなたせ)休憩所にたどり着きました。

日南瀬の休憩所。荷物を下して休むことができ、もちろんトイレもあります。安心して歩ける要因の一つですね。

 休憩所の裏手には「首切れ地蔵」という、つい身構えてしまうような名前のお地蔵さまがありました。説明書きを読んでみると、私の故郷にある「首切り地蔵」の言い伝えとは異なるものでした。『その昔、元は武士に仕えていた源助という商人がここで休んでいると、地蔵菩薩のお告げがあった。大急ぎで村人を呼んで近くを探したところ、沼の中に埋もれていた地蔵尊の頭を見つけ、掘り出して僧を招いて供養をした。やがて念願だった主人の仇を討つことができたことから、この地蔵尊のおかげとお参りする人が増えたのだという。この地蔵は、初めから首が離れていたので、首切れ地蔵と呼ばれるようになった。』(かなり略しています。)

「首切れ地蔵」土地ごとに様々な伝説があるのが興味深いですね。

 再び歩き始めると、これまでの比較的平坦な道が、峠に向かう上り坂へと変わりました。田畑の向こうに、ぽつりぽつりと住む気配のない家が見え、花の咲く庭に寂しさを感じるのでした。

 上長瀬一里塚は、萩唐樋の札場から5里の地点。路傍の斜面に不整形な大小の岩石を積み上げて、半球形に近い形となっていたようです。萩往還には12基の一里塚がありましたが、中でも原型に近い状態で残る貴重なものといわれます。

上長瀬一里塚

 日南瀬休憩所から1時間、夏木原交流施設に到着しました。時刻は11時半、空腹を感じてきたので昼食休憩をとることにしました。交流施設には、休憩施設・宿泊施設・キャンプ場が整備されていますが、残念ながら現在休止中。トイレのみ使用することができました。

◆吉田松陰の東送

吉田松陰先生東送之碑

 江戸幕府により東送を命ぜられた松陰先生は、安政6年(1859)5月25日に、萩から江戸に向けて萩往還を通りました。夏木原(なつきばら)で休息した際に詠んだ漢詩(七言絶句)が碑になっています。詩文は省略しますが、看板に訳文が掲載されていたので転載します。『私は幕府の命令で江戸に送られるが、自分の真意は天の神に正したらわかるはずである。自分は公明正大である。ここ夏木原では、五月雨がしとしと降り、ホトトギスがしきりに鳴いている。ホトトギスは血を吐くまで鳴くと言うが、その血で、このあたりのサツキツツジも真紅に燃えている。自分の胸中もまた同じ思いがする。』

◆国境の碑~山口駅

 夏木原交流施設を後にして間もなく、国境の碑にたどり着きました。「南 周防國吉敷郡」「北 長門国阿武郡」と刻まれています。現在も萩市と山口市の境界です。その先の板堂峠(標高540m)が萩往還の最高地点で、越えれば山口まで下りとなります。(写真はこの記事のトップに掲載)

看板から切り抜き。左が萩、右が三田尻で、標高差が分かるようになっています。国境となる板堂峠は中央。

 国境を過ぎてからは、しばらく車道から離れ、林間を歩いていきます。太く真っすぐに伸びる杉木立の美しさに感嘆しながら行くと、石造りの水場がありました。かつて岩盤から身が縮み上がるほどの冷たい水が湧き「キンチヂミの清水」と名付けられたそうで…思わずニヤリ。現在も、ちょろちょろと水が流れ出ていました。さらにいくつか史跡を見ながら下って行くと、やがて周囲が明るくなり、六軒茶屋跡が目の前に広がります。この先の一ノ坂を上る人々を6軒の農家が茶屋としてもてなした場所で、殿様一行が休憩する駕籠建場もありました。幅の広い坂道の両脇に石を積み上げ、土地が段々になっています。独特の時間が流れているようで、今回もっとも印象に残る場所でした。

モニュメントも建ち、良い雰囲気です。ここでも花の出迎えがあり、静かに時が流れていました。

 六軒茶屋跡を過ぎると車道を横断し、萩往還最大の難所である「四十二(しじゅうに)の曲がり」となります。所々石畳が敷かれる急坂で、下るのにもかなり気を遣い、上ると思うだけで息が切れそうです。ここを殿様の駕籠を担いで上り下りしていたのかと疑ってしまうほどです。やがて、山口市上天花町(かみてんげまち)の集落が開けました。この先は車道に沿って歩きます。ほどなく水を湛えた一の坂ダムです。本来のルートが、ダムの完成によって水没しているそうです。午後の出発からダム堰堤まで、2時間ほどでした。

 さらに歩みを進めると、国宝の瑠璃光寺五重塔の近くを通過し、国道9号を地下歩道で横断して山口市街地へ入って行きます。…おっとその前に…国道手前の酒屋に入ります。実はこの店、チョンマゲビールを販売しているので、終点手前で祝杯をあげることにしました。友人と二人、店の陰をお借りして至福の2本でした。

今回の終点は山口駅。次はここが起点になります!

 あらためて、地下歩道を抜け、いくつか神社や寺の前を通過し、人々が行き交うアーケードの商店街の途中で左に折れると、ついに正面にJR山口駅が見えました。天気にも恵まれ、多少風が吹いていて、暑くもなく寒くもなく快適に歩くことができました。次回はついに三田尻港までたどり着くことになります。

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