萩往還を歩く③


歴史の道「萩往還」を歩くことを決起し、友人と実行してきた企画も第3弾となりました。今回は山口を出発し、瀬戸内海の玄関となる三田尻(防府市)が終点となります。いよいよ完結へ―。
さて、この日は移動に鉄道を利用しました。早朝、美祢市の友人宅に行き、高校生の娘さんと一緒に駅まで送ってもらいました。厚狭駅から山陽本線と山口線を乗り継いで山口駅に移動します。車で移動するばかりの生活ですから、リュックを抱えて鉄道に乗り込むこと自体が新鮮です。なお、帰りも山陽本線で、防府駅から新山口駅まで鉄路を利用し、夫人に迎えをしてもらいました。
◆山口駅~鯖山峠
友人宅を出発したのは午前5時半、山口駅には7時10分に到着し、さっそく歩き始めました。駅前通りを一区画歩くと萩往還に合流です。萩と山口との間は山越えというイメージでしたが、今回は比較的平坦な市街地、舗装された道を歩きます。靴はランニングシューズにして、雨の心配もなかったので荷物も少なめにしました。大内地区では、交通量の多い県道に並行する静かな住宅地を歩きます。歴史を感じられるポイントが乏しく、なんとも単調な道のりに思えるのは、前の二区間が刺激的だったからでしょう。しばらくは冷えた朝の空気の中を淡々と歩いていました。やがて、現代の道と萩往還との交差点、中国自動車道山口ICをくぐり抜けます。

ICを過ぎたところに柊神社がありました。創立年代は不明ですが、藩主毛利氏の姫君が再興した歴史があるそうです。ヒイラギの自然林があって、柊という地名の由来になっているとか。
山口ICから鯖山峠までは下小鯖(おさば)という地域です。片側2車線の国道262号の喧騒とは対照的に、旧道の萩往還沿いは落ち着いた農村の雰囲気です。日も高くなり、体も十分に温まった旅人を、山を伝ってくる涼やかな風がやさしく撫でてくれました。散歩をしている人、庭木の手入れをする夫婦、堀さらいをする人々などとお会いすることで、往時の旅心を味わうようでした。そのうち、道はなだらかに上り始め、前方に鯖山峠が近づいてきました。

◆鯖山峠(郡境)
鯖山峠(さばやまとうげ)は、現在は佐波山峠と表記されます。明治20年(1887)に「佐波山洞道」が完成し、以後改築や新隧道開削を経て、上り下り別の2本のトンネルが貫通しています。萩往還のルートは、トンネル脇からの狭い坂道となります。天正年間(1574頃)には関所があり、茶店や駕籠建場等もある、ひとつの小さな村だったそうです。
郡境(こおりざかい)の碑に到着しました。くっきりと「従是北吉敷郡、従是南佐波郡」と刻まれています。享和2年(1802)に建て直したものということです。見晴らしも良く、明治天皇の御小休所跡の碑もありました。鯖山峠を越えればあとは瀬戸内海に向かって下るのみです。時刻は10時55分でした。

◆鯖山峠~三田尻港
防府市に入ると、ずんずん下って行きます。車では感じられませんが、かなり勾配のある長い坂です。勝坂(かっさか)といい「勝坂砲台跡」の案内板を見つけました。
➡文久3年(1863)、長州藩は藩庁を萩から山口に移しました。そして、防備のために勝坂に関門を設置し、高台に砲台を築きました。現在も石垣や土塁の一部が残っています。
さて、左側の上方には右田ヶ岳がそそり立っています。岩肌が露見する荒々しさが目を引きます。この山はとにかく眺望がすばらしいと評判です。ぜひ登ってみたいねと話しながら歩きました。沿線は古くからの集落である証拠に、お地蔵様を祀るお堂が点在していました。よく手入れされ、人々の信仰の厚さが伝わります。手を合わせては通過していきました。
山陽新幹線の下をくぐったところに剱神社があります。この日は参拝をしてすぐに去りましたが、引かれるものがあり後日再訪しました。由緒書きによると、延喜式に登載されている式内社とのことで、大内氏や毛利氏も代々尊崇していたそうです。

剣神社を後にすると、ほどなく国道2号線と山陽自動車道を立体交差で横切り、佐波川の岸辺に出ました。かつて、渡しで越えていた佐波川に、享保9年(1724)に木橋が架けられました。しかし、洪水のたびに流失したため、寛保2年(1742)に6艘の船を並べて板を渡した「舟橋」が作られました。大水が出ると切り離して岸に引き寄せ、水が引いたら架け直すという珍しい橋でした。長さ38mで、戦前まで使われていたそうです。
ここで正午を迎えました。7時過ぎから歩き始め、途中間食もしましたが、疲れもあるしお腹も空きました。そこで、本橋を渡った先にある知人が営む店へ入り、アツアツのピザをいただきました。良いタイミングでしたね。

店を出て歩き始めるとすぐに山陽道と交わります。約1㎞の重複区間があり、防府天満宮の前で再び分かれます。山陽道は参勤交代の往来もあり、ここには藩の指定旅館である本陣や脇本陣がありました。幕府の役人や九州の諸大名が宿泊したそうです。萩往還は防府天満宮の正面に伸びる通りへ向きを変え、商店街のアーケードを抜けていきます。防府駅にも近い山陽本線の高架をくぐり、さらに南下してまもなく、三田尻御茶屋に到着しました。午後2時20分でした。
◆三田尻御茶屋(英雲荘)
三田尻御茶屋は、萩藩二代藩主毛利綱広が、承応3年(1654)に設置しました。御茶屋とは、参勤交代や迎賓の宿舎等に使用する公館です。以後、藩主の隠居所となったり、明治以降は毛利家の三田尻別邸となったり、様々な変遷をたどりました。昭和に入り防府市に寄贈され、現在は縁の深かった7代藩主重就の法名より「英雲荘」と命名されています。檜皮葺二階建ての大観楼棟や、離れの茶室花月楼、そして百年ぶりに水が張られたばかりという庭園など、目を見張るものばかりでした。

この日の歩行はここまで。防府駅まで戻り、列車で新山口駅に到着したのは4時35分でした。長く充実した一日となりました。
後日、車で再び防府を訪ねました。三田尻御茶屋から約500m離れたところにある、三田尻御舟倉跡を見ておきたかったのです。ここに藩主の御座船や軍船が置かれ、海の玄関となっていました。周辺は江戸時代から干拓が進められ、今や住宅地の中でひっそりと時を刻んでいます。

◆歩みを終えて
萩往還をひととおり歩くという念願が叶いました。車ならば1時間半ほどの道のりですが、歩けば一泊や二泊を要します。それが不便ではなく当たり前でした。こうして、実際に歩くことによって、人々が歩いていた時代の感覚を肌で味わえたことが、一番の収穫だと思いました。(歩行日5月3日)